カテゴリ: 【街ネタ】

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オープン1周年を迎えた「ゆいの森あらかわ」

 
『カディスの赤い星』や『平蔵狩り』などの作品で知られる小説家・推理作家の逢坂剛(おうさかごう)さんの講演会に行ってきました(325日、荒川区立ゆいの森あらかわ=荒川2-50-1)。「ゆいの森あらかわ・吉村昭記念文学館 開館一周年記念イベント」として開かれたもので、テーマは「開成いまむかし」。

 逢坂さんは1943(昭和18)11月生まれ。千駄木団子坂上にあった「観潮楼」

(現・森鷗外記念館)近くの出身とかで、「朝、鷗外先生が歯磨きしているところを見た」と真面目な顔で話していましたが、鷗外は1922(大正11)年に他界していますから、まったくの冗談です。

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 吉村昭記念文学館はファンならずとも訪れたい

 
 幼少期に亡くした母への思慕の情や、自著も含めて挿絵画家として活躍した父との思い出などをモノクロ写真とともにテンポよく話してくれました。その後、出身校である名門、開成中学・高校
(荒川区西日暮里)での「坊主刈り」「名物行事の運動会」「筑波大付属高校とのボートレース」など思い出を披露してくれました。

講演会開会前には、芥川賞作家(1965年『玩具』)の津村節子さんのお話しがありました。津村さんはよく知られているように、吉村昭氏の賢夫人で「ゆいの森あらかわ」内にある吉村昭記念文学館の名誉館長でもあります。

11年前に他界した吉村昭さんに対して、「故郷である日暮里に対する愛情が深く、(日暮里駅方面から谷中銀座に下る)夕やけだんだんなど下町散歩をよくしていました」と振り返っていました。

会場の「ゆいの森あらかわ」は、中央図書館、吉村昭記念文学館、ゆいの森子どもひろばなどで構成した複合施設で、区の広報資料によると「あらゆる世代が活用できる施設」。館内にはカフェもあり、憩いの場ともなっています。お勧めです。

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都電の旅もお勧め(荒川丁目停留場)


 「ゆいの森あらかわ」へのアクセスについてご説明します。東京メトロ千代田線、京成線、都電荒川線
(東京さくらトラム)が乗り入れている「町屋」駅から徒歩8分ほど。都電ののんびりした雰囲気を味わう場合は、「荒川二丁目」停留場で下車、徒歩1分ほどです。料金は170(ICカードの場合は165)

 「町屋」駅前の有名店のひとつに、今川焼の「博多屋」(荒川7-50-9)がありますので要チェックです。130円、持帰り専門。創業は1952(昭和27)年というから今年で66周年。当時の出来事を調べたら、日米安全保障条約発効・GHQ廃止、手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』連載開始、十勝沖地震発生、日航機「もく星号」大島三原山に墜落などいろいろありました。

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  今川焼の老舗「博多屋」には行列も。重量感たっぷり、適度な甘さがいい

 
 ちなみに、博多屋さんは池袋に姉妹店の池袋店(池袋
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ヘッドランプ、テールランプは視認性の高いものを選びましょう


 「ナイトライド」(ナイトラン)という言葉を耳にしたことはありますか。一般的には自転車による夜間走行のことです。最近、都会ではこのナイトライドが静かなブームになっているようです。

こうした中、37日放送の『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京系)では、自転車で夜の街を走行するナイトライドを特集。自転車販売大手「あさひ」が、ナイトライドのイベントを開催したことなどを紹介していますが、ネット上では早速、安全面での懸念から「ルールやマナーを守って」といった声が流れています。

 ロードバイクやクロスバイクなどのスポーツ車にまたがり、夜の街をさっそうと走行するのは気持ちのいいものです。しかし、改めて言うまでもなく「危険」が潜んでいるのは事実です。

大別すると、自動車との接触と転倒による単独事故のリスクでしょう。

<自動車からは視認しにくく接触や追突の危険性が高い>

<路面状態を確認しづらく落車の懸念がある。路肩は舗装の継ぎ目が多く、路面が傷んでいる場合もあってフラつきやすい>

 昼間でさえ危険がいっぱいなのに、夜間ではなおさらです。自転車乗りの中には、夜間走行は危険なので「自殺行為」と断言する人もいます。環状8号線の某トンネルでマイクロバスが自転車(ママチャリ)に追突した凄惨な現場のわきを走行したことがありますが、「明日は我が身」と思うととてもナイトライドには踏み切ることはできません。

 そうしたリスクを十分認識した上でナイトライドを楽しむには、完全装備が欠かせません。視認性の高いヘッドランプ、テールランプ、ヘルメットやリュックにつける補助ライト、反射板付きベスト――などをそろえることです。それでも、路面の凹凸が原因で落車する恐れは消すことができません。

法律上は、「前照灯は白色または淡黄色で、夜間前方10㍍の距離にある交通上の障害物を確認することができる光度を有するもの。反射器材は夜間、後方100㍍の距離から自動車の前照灯で照らして、その反射光を容易に確認できるもの」(警視庁のホームページから)となっていますが、これはあくまでも最低限の装備と考えるべきでしょう。

 ロードバイクやクロスバイクなどのスポーツ車は、健康志向の高まりや働き方改革などを背景に人気は上々のようです。ヘルメットやサングラスで顔が覆われているため、自転車乗りの年恰好まではよく分かりませんが、自転車ショップ店長によると50代以降の中高年親父が市場を牽引しているとか。当然、視力や条件反射などさまざまな能力は20代や30代の頃と比べて落ちている人が多く、事故のリスクも高いと言わざるを得ません。

 ましてや、ロードバイクなどちょっとペダルを回転させれば時速30㌔オーバーの世界。エンジンこそついていませんが、バイク(原動機付自転車)と似たような走行性能を備えているのです。さらに、自動車のドライバーからすれば、「(視認しづらく)夜間の自転車ほど怖いものはない」「無灯火、逆走などルール無視の輩が少なくない」といった批判的な意見も少なくありません。

 夜間に乗るなら、万全の装備、そしてマナーとルールを守ることが最低の条件のようです。

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会場は観客の期待感と共に、
独特の緊張感と静寂に包まれていました 
(C)Hikaru.


33日(土)、東京芸術劇場(豊島区西池袋)コンサートホールで行われた「芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー 4回定期演奏会」にお邪魔しました。

2014年に次世代の音楽家を育成するべく誕生した「芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー(以下、アカデミー)」。今年は「演奏家から“音楽家”へ」のスローガンを掲げ、上野学園大学監修のキャリアアップゼミを軸に取り組んでおり、彼らを指導する「東京佼成ウインドオーケストラ」協力のもと、定期的に演奏会も開催しています。

 15:00の開演に合わせて20分前に到着しましたが、既にたくさんの方が入場しており、ロビーでは聴きたい楽曲や演奏家について皆さん語り合っていました。なかなか触れる機会の無かったオーケストラ。私の心の中も少しずつ、ワクワクしてきました。

ちなみに、プログラムは下記の通りです。

W.シューマン/「ジョージ・ワシントン・ブリッジ」

デロ=ジョイオ/「中世の旋律による変奏曲」

S.バーバー/(G.M.デューカー編曲)「交響曲第1番」

15分休憩~

藤倉大/「テューバ協奏曲」(世界初演)

*独奏:エイステイン・ボーツヴィック

(ソリスト・アンコール)エイスティン・ボーツヴィック/「Fnugg

L.バーンスタイン『ウエスト・サイド・ストーリー』より

/「シンフォニック・ダンス」

(アンコール)L.バーンスタイン/「キャンディード序曲」

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 指揮:シズオ・Z・クワハラ(左)と
ソロ・テューバ:エイステイン・ボーツヴィック(右)

(C)Hikaru.


 今回の目玉は、国内外で活躍する指揮者、シズオ・Z・クワハラさんの指揮と、テューバのソリストのパイオニアとして知られるエイステイン・ボーツヴィックさんの参加。特にボーツヴィックさんが加わった「テューバ協奏曲」の演奏が終わると、割れんばかりの拍手がホール中に響き渡りました。私の背後から「ブラボー!!!」と叫ぶ方がいたほどです。

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若い力が躍動する、素敵な演奏でした (C)Hikaru.


 アカデミー生たちも負けじと、若さ溢れる演奏でオーケストラに一体感を持たせていた印象です。

 テンポの良い楽曲が多かったこともあり、終わった後の余韻・気持ちは明るく爽やか。ちらっと伺い見た来場者の顔が満面の笑みだったのも印象的でした。

 本公演に参加したアカデミー生たちには今後、国内外の様々な音楽シーンで活躍して欲しいですね。卒業後の進路を含め、注目していきたいと思います。

 

<公演情報>

芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー 4回演奏会

201833日(土)15:00開演

東京芸術劇場 コンサートホール

指揮:シズオ・Z・クワハラ

ソロ・テューバ:エイステイン・ボーツヴィック

吹奏楽:芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー、東京佼成ウインドオーケストラ

主催:東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)

協力:東京佼成ウインドオーケストラ、上野学園大学

助成:平成29年度 文化庁劇場・音楽堂等活性化事業

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博士に飛びつくハチ(約1.9メートルのブロンズ像)


平昌オリンピック・女子フィギュアスケートの金メダリスト、アリーナ・イルナゾヴナ・ザキトワ選手(15、ロシア)は、日本から贈られる秋田犬の名前を「マサル」に決めたと外電が伝えています。該当の犬は「女の子」なのですが、「勝利」の意味を込めてこの名前にしたそうです。

秋田犬といえば、渋谷駅前の「忠犬ハチ公像」で有名な「ハチ」の存在が際立っています。世界的には、邦画『ハチ公物語』(1987)のリメーク版『HACHI 約束の犬』(2009)によって、その知名度を一気に高めた格好です。

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上野博士胸像とハチの臓器が保存されている東大農学資料館


そのハチの命日は193538日。渋谷駅南側の稲荷橋近くで亡くなっていたのが発見された日です。そして、80年目の命日にあたる2015年同日、飼い主の上野英三郎博士(18721925)が通っていた東京大学農学部(弥生キャンパス、文京弥生)に、博士を出迎える模様を象った銅像が設置されました。

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青山霊園の上野博士の墓、右にハチ公の碑

 ハチは上野博士が学内の教授会で急死した後も、10年近くにわたって博士の自宅(渋谷区松濤)最寄駅の渋谷駅で主の帰りを待っていたのですが、この銅像は上野博士とハチの80年ぶりの再会だったわけです。

余談ですが、博士の死後、夫人は弟子たちの支援を受けて世田谷に移り住んだのですが、ハチはたびたび行方不明となりました。夫人がその都度探していると、知人から「渋谷駅で見かけた」などと知らされ、夫人はハチの幸せを考え断腸の思いでハチをよくなついていた渋谷の植木職人に預けたそうです。1927年のことです。

話を東大農学部に戻します。ここには上野博士の胸像ほか、ハチの臓器(肺、心臓、肝臓)が3つの容器に分けられ保存されています。当時の解剖所見や近年のMRI検査の結果、犬糸状虫(犬フィラリア)症やがん病巣などが見つかっています。また、ハチの剥製は上野の国立科学博物館に所蔵されています。

なお、上野博士は夫人とともに青山霊園に眠っています。その脇にはハチの石碑も寄り添うように並んでいます。お子さんはいませんでしたので、今でも東大農学部の関係者らが墓参しているそうです。

ザキトワ選手には、こんな秋田犬と愛情を注いだ飼い主の物語をぜひ知ってもらいたいものです。


『池袋15´20173月号の連載企画「大人の遠足」(第5回)で、「上野博士とハチ公像」について取り上げています。

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(写真はイメージです)


 31日、サンシャインシティ(東池袋)の展示会開会式が9時から開かれるので、余裕をもって8時過ぎに現地着。近くの外食チェーン店に立ち寄り、カウンターで軽食とコーヒーを注文しました。

 テーブルで新聞を手に、紙コップに入ったコーヒーを口にすると「味がしない!」。紙コップのふたを開けてびっくり。中身は白湯でした。

 カウンターに出向き、女性の店員さんにその旨を伝えると、「もぉーし訳ございませんでした」といってすぐにコーヒーに交換してくれました。その慣れた対応ぶりに「よくある間違いなのかな」と思ってしまいました。

 原因は何か? 私のオーダーの仕方が悪かったのかもしれません。最初に「ホット」と頼んだのですが、対応した店員さん(外国人の男性)は、よく理解できなかった風なので「コーヒー」とお願いしました。それがバックヤードにどう伝わったのかは不明ですが、ホットウォーターが出てきたのは確かです。

 以前、家人が国際線の機内で「コーヒー」を頼んだら「コーラ」で出てきたとか。水を頼む際、ネイティブ風にカッコつけて注文したら「ウォッカ」を出されたとか、この手の話はいろいろありますね。コミュニケーションは難しい?

 日本人同士でも意思疎通はうまくいかないことがあります。それで思い出したのがNHKのコント番組『となりのシムラ』。志村さん扮する、くたびれた中年サラリーマンがシアトル系カフェで、若い女性スタッフ相手に注文に四苦八苦するという極上のネタです。その一端を紹介すると…。


シムラ「ブレンドね」

店 員「そのような商品はありません」

シムラ「じゃあアメリカンでいいや」

店 員「アメリカーノでよろしいですか」

(発音にムッとするシムラ。その後、いろいろやりとりがあって「ラテ」を注文することに。ここで乳製品の種類を問われる)

店 員「普通の牛乳、無脂肪、低脂肪、ソイ…」

シムラ「そのソイってなんだよ!」

(興奮して暑くなったせいか、アイスに注文を切り替えるシムラ。店員からフラペラテを勧められるのだが、今度はシロップの種類を聞かれ再び混乱する…)

 このコントでは、おじさん世代が「ホットコーヒー」の代名詞として使ってきた「ブレンド」も「ホット」も死語になりつつあることを示しているのか、はたまた増殖中のシアトル系カフェのこじゃれた商品名を皮肉っているのか。

 一杯のコーヒーを注文するのも難しい時代。カフェの店員さんに限ったことではありませんが、意思疎通を図ることの大切さを改めて感じた3月の初日でした。

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